私がわたしを超えていく「チーム中村ブレイス」。
一ノ瀬メイさんとのこと

Nakamura Brace Stories Vol.02

リオデジャネイロオリンピック・パラリンピック競技大会を翌年に控えた2015年、義手や義足を製作する私たちのもとに、「パラリンピックをめざす選手の筋力トレーニングのための義手を製作できませんか」という依頼がありました。義手を使うのは、当時18歳だった一ノ瀬メイさん。

名門近畿大学水上競技部に所属したばかりの競泳選手でした。
これは初めてお会いしてからパラリンピックを終え、新たなチャレンジを続ける一ノ瀬さんとの絆の物語です。

依頼された義手のイメージは、「鉄パイプ」!?

(写真提供:一ノ瀬メイさん Instagram

一ノ瀬メイさんは右肘から先がない、先天性右前腕欠損症で生まれました。9歳で本格的に水泳をはじめ、2015年近畿大学に入学し水上競技部に所属。多くの競泳メダリストを輩出している水上競技部にとって、一ノ瀬さんは初めてのパラスイマーでした。

右肘から先、つまり手の平がないため、泳いでも水の抵抗をあまり受けられず負荷をかけられません。そのため右腕や右肩の筋肉がついていなかった一ノ瀬さんに、水上競技部の山本貴司監督が思いもよらぬ提案をしました。「義手をつければ筋力トレーニングができるんじゃないか」。

中村ブレイスの会長・中村俊郎が近大OBという縁で、私たちに義手製作の声がかかりました。これまで数々の義肢装具を製作してきましたが、アスリート用のトレーニング義手という初めての領域にふみこむ私たちと、義手をつけた経験のない一ノ瀬さんとの二人三脚のチャレンジがはじまりました。

当時所属していた近畿大学で、弊社社長・中村宣郎(左)、義肢装具士・那須誠(右)と。

「ガチで“鉄パイプみたいなやつ”とリクエストしました。海外ではトレーニング義手が普及していて、義手をつけてウエイトトレーニングをしている海外選手のSNSを見ていたので」と一ノ瀬さんは振り返ります。

彼女の義手製作を担当したのは、メディカルアート研究所の那須誠。生まれつき身体の一部がない方、事故や病気で身体の一部が欠損した方のために、手や指、乳房といった本物そっくりな製品をシリコーンゴムを用いて製作している専門部署です。

しかし、那須に求められたのはリアルな義手ではなく、筋力トレーニングのための機能に特化したシンプルなものでした。

「“鉄パイプのような義手”(笑)は、すんなり受け入れられましたね。私たちの得意とするシリコーンゴムは何種類もあり、硬さや伸びなどの特性を熟知した上で、求められるトレーニングに適した強度のものを選びました」と淡々と話す那須。

そして、シリコーンゴム製で二重構造になったトレーニング義手が完成。装着すると真空状態になって腕にフィットし、器具を持っても、ぶら下がっても、ズレたり外れたりすることはありません。

チューブを引っ張ったり、器具を持てるよう先端にはフックがついている。

日本で初めてトレーニング用の義手をつけた一ノ瀬さん。以来、日本代表選手の中でもトレーニング義肢を使う人が増えたそう。

義肢装具士と二人三脚で、義手も泳ぎもバージョンアップ!

(写真提供:一ノ瀬メイさん Instagram

義手を装着し、一ノ瀬さんはさっそく筋力トレーニングをはじめました。

「水の中ではかけられない負荷を陸上での筋トレでかけることができ、めっちゃ右腕が太くなりました。肩甲骨周辺や背中にも、もともとなかった筋肉がどんどんついていきました」

一ノ瀬さんのトレーニングの幅が広がるとともに、私たちも義手を改良していきます。ベンチプレスでのバーベルの重量に耐えられるよう、より伸びないシリコーンゴムを使い強度を高め、腕立て伏せをする場合は先端のフックを外してカバーをつけられるといった工夫をしました。

筋力が格段にアップし、自分の身体が変わっていくのがおもしろくなった、と一ノ瀬さん。純粋に前へ進む貪欲さと屈託のない彼女の笑顔に、私たちも期待に応えたいと一丸となって取り組みました。

「改良された義手を那須さんに送っていただき、それで筋トレをしていたら、もっと強化した義手が必要になって。その繰り返し。お互いに超え続け、どんどんバージョンアップして行った気がします」

一ノ瀬さんはダイナミックな泳ぎでタイムを縮め、那須は自身の持つ技術の全てを注ぐ。ふたりは義手を通じてより高いレベルへと駆け上がって行きました。

そして2016年、リオデジャネイロ・パラリンピック派遣選手選考戦へ。200m個人メドレーにて自身が持っていた日本記録を4秒16上回る結果を出し、一ノ瀬さんは見事パラリンピック出場の切符をつかみました。義手をつけはじめて1年目のことです。

懸垂や腕立て伏せなど、義手をつけたトレーニング風景をSNSで発信。「懸垂は禁止事項だったけれど、Instagramに上げたので那須さんにバレました(笑)」

「チーム中村ブレイス」として、陸上競技に挑戦!

パラリンピックに出場する夢を叶え、現役を引退した一ノ瀬さんが新たに挑戦するのは、陸上競技。両腕の長さや重さが揃っている方が走りやすいということで、新たに陸上競技用の義手をオーダーされました。

彼女のチャレンジに伴走する中村ブレイスという関係性は、すでにでき上がっていました。

義手製作は、肌に直接はめるシリコーンライナー部分を那須が、その上に装着するソケット部分を大森浩己が担当。今回のフィッティングでは、義肢装具士40年の大森が細かな調整を繰り返します。

「使う人がOKと言ってからが本番! ここからが長いんですよ。あとで痛みが出ないように、気になる部分がなくなるまでつぶしていかないと。この微妙な加減がフィッティングをすることで確実になる」と大森は明るく話しながらも決して妥協はしません。

陸上競技用の義手を担当する大森(左)・那須(右)と一ノ瀬さん。石見銀山の町並みで。

フィッティングではつけ心地、腕の曲げ伸ばしなど違和感がないかをチェックし、その場でも微調整を重ねていく。

フィッティングも取材も、一ノ瀬さんの軽快なトークを交えて賑やかに進む。

引退後の一ノ瀬さんは、「チーム中村ブレイス」として積極的に発信されています。その理由を訊ねました。

「大学1年時からサポートしていただいていますが、当時は所属する近畿大学以外の名前を背負ってプレイすることは規定上できませんでした。
引退したいまなら中村ブレイスさんの名を背負って走れる!と思い、“中村ブレイス所属として陸上競技に出たいです”と社長さんに相談したら、いいですよ! と言っていただき、念願が叶いました!」

チーム中村ブレイス―。
一ノ瀬さんの気持ちが込められた名称です。

「みなさんのサポートがなければ、成績も結果もいまいる場所も違っていたと思います。出会いによって、私のように物事が好転していくひとって実はたくさんいると思う。サポートを必要としているひとに届いて欲しい。義肢装具を製作している企業が島根にあることや、いまの私を知って欲しい。それが“#チーム中村ブレイス”なんです!」

(写真提供:一ノ瀬メイさん Instagram

競技中はたった一人。 孤独だからこそ、目に見えない支えが後押しになる。

中村ブレイスのブレイスには「支える」という意味があります。私たちは一ノ瀬さんの支えになっているのでしょうか。

「義手があるからできることが増え、物理的に支えてもらっています。水泳は一人で戦うので、成績や結果がどうであれ責任をとるのは自分です。はじめは家族だけが支えでした。次は近畿大学という所属ができ、チームメイトで励まし合えた。その後中村ブレイスさんに出会えたことでまた、チームが増えた気がしました。物理的なものだけではなく、精神的にも支えになっています」

陸上であれ何であれ、一人での戦いは孤独と向き合うことでもあります。義手という物質的なものが、精神的な支えにもなり得る。それが義肢装具をこつこつと作り続ける私たちの喜びです。

「中村ブレイスさんって結果を気にされないですよね! 周りの選手と比べるとか、世界の舞台でメダルを獲るとか執着がない(笑)。私がわたしを更新できているかが大事で。どんな結果であれ受け止めてもらえると感じています」

現役を引退されても、新たな挑戦によってつながっている。私たちはこれまで通り、真摯にものづくりに徹するのみ。

京都から車で片道6時間かけて島根までお越しいただいた一ノ瀬さんの晴れやかな笑顔に、私たちは支えられています。

一ノ瀬 メイさん Mei Ichinose

1997年京都府生まれ。一歳半から水泳をはじめ、2016年リオデジャネイロパラリンピックに出場。競泳7種目の日本記録を持つ。2021年10月現役引退。現在は、①ウェルビーイング②サスティナビリティ③ダイバーシティ&インクリュージョンを指針とした情報を発信しながら、パブリックスピーカーやモデルなど活動の幅を広げている。