仕事も暮らしも足元から。叶えた夢と歩く道。
―義肢装具士・嶋田岳

Nakamura Brace Stories Vol.03

中村ブレイスは、島根県の山間、世界遺産・石見銀山の約400人が暮らす小さな町にありながら、これまでもたくさんのメディアに取り上げていただきました。そのうちのあるテレビ番組を、たまたま見ていた遠く北海道に住む中学生。義肢装具士という初めて知る専門職に感銘を受け、9年後、中村ブレイスに入社。
「番組を見ていなかったら、いまここにはいない」と、湧き立つ好奇心のまま突き進む、義肢装具士・嶋田岳(現在は退職)の足跡をご紹介します。

「雷に打たれた」 衝撃を受け、会長にファンレターを出す。

義肢装具製作所である私たちが作る「義肢」とは、病気や事故で失った手や足の代わりになるもの。「装具」とは、手や足、首、関節などの一部を支えたり保護し、動きを制限するのに使用されるもののことを言います。身近な例では、腰を支えるコルセットや靴に入れる中敷きも装具のひとつ。中村ブレイスの製品は医師により患者さんへ処方されます。

義肢装具士免許は、義肢・装具の製作・調整・納品をする際に、患者さんに触れることのできる資格で、日本では1987年に設けられた比較的新しい国家資格です。義肢装具士は全国で6,000人いると言われており、義肢や装具を着けている方の生活の質を向上させるためにサポートをしています。

手作業で微妙な調整をしながら仕上げていく義肢装具士。

装具には生地を使うものも多く、縫い方一つで装着時の快適さは断然良くなる。

私たちの仕事が取り上げられた番組を偶然、目にした当時13歳の嶋田岳。
「うわーっ!雷に打たれたような衝撃でした」と、嬉しそうに回想します。

「“番組で会社を知り、中村ブレイスで働きたい”と手紙を書いたところ、速達で出版された本とともに返事が来ました。テレビで見た中村俊郎さんだ! 来たよ、ええ~! まさか返事が来るとは(笑)」

製作した足底装具を手にする嶋田。患者さんの喜んでくれる姿を想って微笑む。

義肢装具士免許を取得するには、全国にある養成校に入学する必要があります。嶋田の住む北海道には養成校がなく、熊本の専門学校へ進学を考えていましたが、高校2年時に地元の大学に日本初の義肢装具学科が新設されるという偶然もあり、迷わず北海道工業大学(現:北海道科学大学)に進学。「中1で僕の進路は決まっていた」と言うように、義肢装具士になるための道はすでに拓けていたのでした。

高校・大学入学の節目には報告も兼ねて中村と手紙で交流を続け、高校3年時にははじめて石見銀山を訪れ、感激の初対面を果たします。
「中村俊郎さんだ!わ〜ついにお会いすることができた」

この時の様子を、中村俊郎はこう振り返ります。
「手紙を交換するなかで、中学生ながら強い意志を感じていた。中学生にして義肢装具の仕事に興味を持ってくれることがとても嬉しかったが、将来の夢は次第に変わっていくもの。高校〜大学と進む中で、世の中にあるたくさんの仕事に触れ、それでも義肢装具士を選んでくれたら…と思っていたので、中学生の時の熱量のまま、本当にきてくれたことが嬉しかった」

嶋田は抱いた夢にまっすぐ、義肢装具士への階段を着実にのぼり、大学4年時には当社での臨床実習を経て、無事に卒業・国家試験に合格し、2011年4月、義肢装具士としてついに中村ブレイスに入社します。

義肢装具士への夢を膨らませた、中村からの手紙の数々。

初めて訪れた石見銀山で中村と。竹藪がない北海道。大森で初めて竹藪や肉眼で見られる天の川に感動。町民との交流に温かさを感じた。

医療チームの一員として 医師や看護師、理学療法士とともに。

石膏で作った足型のモデル。ひとつひとつ症状に合わせてサーフォーム(ヤスリ)で削る。

卒業論文のテーマは「足底板」だった嶋田。入社後は足の装具担当としてオーダーメイドの足底板を製作しています。

「足底板」とは、医師が処方する治療用の足の装具のこと。その中でも靴に入れる「インソールタイプ」や家の中で使う「ホルダータイプ」があります。患者さんの症状や生活様式を把握し、どのような装具デザイン・材質がベストかを判断し、医師に提案するのも義肢装具士の役目です。

「足が好きなんです」と嶋田は、その理由を語ります。

「自身も足の悩みがあり、苦労しました。北海道出身なのでスキー授業があり、スキー靴に足の突出した骨が当たって痛かった。授業が終わると皮がめくれていたり…。まわりにパッドを貼ったりしたけど、当時の僕には痛みを取ることはできませんでした。そんな自分の経験からも足の問題に関心を持つきっかけとなったように思います」

「足裏から語られるものがある」と、土踏まずや胼胝(たこ)から情報を読み取る。

患者さんの足を支えるオーダーメイドの足底板を仕上げていく。

地域性や競技、成長する身体、筋肉の使い方など後天的な要因によって痛みはさまざま。自身の痛みのもとを探っては仕事に生かし、患者さんの足の痛みに耳を傾けます。

2018年から医師や看護師などとともに、患者さんの足を守る「フットケア外来」に携わる嶋田。義肢装具士は一人ひとりの治療やリハビリをサポートするのに最適な義肢装具を製作する職人である一方、医療スタッフと連携を図り、患者さんに寄り添うといったコミュニケーション能力も求められます。

中村ブレイス本社のある石見銀山・大森町で。

透析患者さん100人以上の足元から見えてきたこと。

整形外科分野でも持ち前の好奇心を発揮する嶋田に、看護師から相談を持ちかけられます。「フットケア外来に糖尿病や心臓疾患などにより血流が悪くなって創(きず)が治らない患者さんがいて、そのような方の足を見て靴の評価や提案、足底板を作ってもらえないか」と。

糖尿病の方に起こりやすい合併症には、細菌感染や足の変形などがあり、靴擦れや爪切りにより創(きず)が重症化することがあるためです。

「透析中の患者さんは足を出して横になっているので、足や履いてきた靴を見せてもらったり、透析後に靴下や靴を履く動作、歩き方を観察すると問題点が見えてきて」と患者さんに説明するために作った資料のファイルを広げます。

オリジナルの足カルテを作成しながら研究し、患者さんに伝えている。

独自に作成した資料には、一人ひとりの症状や訴え、現状やケア方法など100人以上のデータが収められています。「創(きず)や感染のリスクを防ぐためにも、今の足の状態をお伝えして自身の足を理解・興味を持ってもらおうとしています。例えば、急いでいると靴下を履くときに必要以上に引っ張り上げてしまいます。すると足趾(足の指)がぎゅっと圧迫され、巻き爪になったり、足趾同士がくっつくことで水虫の原因になり得る。靴下や靴の履き方を知る機会がないだけで、お伝えすると皆さん納得・実践してくださいます。」

患者さんの立場に立ち、徹底的に考え、真摯にものづくりに励む。私たちの社是「Think」を体現している嶋田は、ここから大きくジャンプします。

5本ゆび靴下を履きたいけれど、履くのが面倒と言う患者さんのために、靴下の指と指を縫うことを思いつく。
「5本指は1本ずつ履かせないといけないし、脱ぐと指先がひっくり返るから洗いにくい、という理由で選ばれない。だけど指の股を縫うことで、脱ぐ時に指1本だけひっぱると5本分がくっついて脱げる、先丸の靴下のように扱える」

足趾の間の汗を吸い取る、足趾がそれぞれ動きやすい、冷え防止など5本ゆび靴下のメリットを生かしたまま、脱ぎやすく履きやすくするためのひと工夫でデメリットを解消。このアイデアを社内で発表後、会長の薦めにより、2022年実用新案権登録をしました。足にこだわり続ける嶋田の足跡がひとつ刻まれました。

実用新案権とは、物品の形状、構造または組み合わせに係る考案を保護するための権利。嶋田は既存の5本ゆび靴下にひと工夫を施した。

「仕事は大変って言うけれど、楽しくていいんですかね(笑)すごく充実しています!」と語る嶋田。

自他ともに認める「フット推し」。 石見銀山の地に足をつけ、天職を究める。

「上手に履くんですよ」自作のベルトによって、子どもの足と靴がフィット。靴を買い替えるたびにベルトをつけ、正しく履ける環境を作っている。

足好きが高じて、嶋田は娘の靴を加工するまでに。フットケア外来で気づいた靴の履き方の改善策を子どもの靴で実践しようと、足首近くに折り返し式のベルトをつけました。

「靴を選ぶ際、試着程度ではいい感じなのですが、歩き続けると足が前にズレてゆび先が靴に圧迫されてしまう。だから靴にベルトをつけてズレにくくしています。子供の成長は、足もすぐ大きくなるため、足の成長に良い靴環境を」

義肢装具士免許を持つ妻・莉雅(りか)は、中村ブレイスの総務部所属。「知り合った頃、夫は”フット推し”ではなかったんです。どんどん熱くなって…足愛が」と笑う。

家族は古民家を改修した社宅に住んでおり、石見銀山の町で仕事と暮らしが地続きになっていることに安心感を覚えているよう。「大森は町全体で子どもを育てています。保育園もアットホームでやさしい。山や川に入って自然に触れることもできる。同年代の子どもみんなに目が届く」と莉雅は言い、田舎暮らしを満喫しています。

同じ職場だからこそ、お互いの仕事を尊重している様子が伝わる。

町ぐるみで子どもを見守る大森町での子育てに満足している。

「フット推し」として自他ともに認める嶋田は、足元を究めようと情熱を注ぐ先が広がっています。糖尿病の知識や数値の見方などを取得し、医師や看護師とともに患者さんのケアに関わるフットケア指導士。靴下の歴史や編み方、繊維素材などの知識を学ぶ靴下ソムリエ。

「自分が興味のあることをどんどん吸収したい。その知識を患者さんや家族に生かしていきたい」

「僕の仕事は天職です」。大森町にしっかり足をつけ、義肢装具士として今日も患者さんや家族を足元から支えています。

娘の送り迎えで、子どもの歩幅でゆっくりと歩く時間も、家族にとってかけがえのない時間となっている。

中村ブレイス株式会社 義肢装具士

嶋田 岳 Gaku Shimada

1988年北海道旭川市生まれ、大森町在住。2011年、北海道工業大学(現 北海道科学大学)卒業。同年、中村ブレイス入社のため島根県大田市大森町へ移住。以来、義肢装具士として装具の製作に携わりながら、妻・娘と大森町の暮らしを楽しんでいる。

※現在は退職し、故郷の北海道で義肢装具士としてご活躍されています。