再生の先に灯る、 ひとと町の新しい希望。
―石見銀山と中村俊郎

Nakamura Brace Stories Vol.01

中村ブレイスの本社がある、大森の町並み。

ここを入口に銀山地区の龍源寺間歩まで約3kmの道とその周辺、積み出し港を含めた一帯が世界遺産となった石見銀山。銀山地区の仙ノ山にて銀鉱石が発見され、最盛期には世界の1/3の銀を産出するという「シルバーラッシュ」を迎え、繁栄を極めた歴史のある町が島根県大田市大森町です。

銀の産出量減少などに伴い、1923年に休山。そして1970年代日本が高度経済成長を遂げる中、大森町では若者が都会へ出て過疎化に拍車がかかり、町の灯は消えかかっていました。
世界遺産として歴史的価値が認められた2007年から遡ること33年前、過疎真っ只中の石見銀山で創業した中村ブレイス。創業者・中村俊郎が抱き続ける希望とは?
「再生」をキーワードに辿っていきます。

義肢装具で笑顔を取り戻して欲しい。

経済成長を遂げた日本が安定期に入っていた傍らで、ゴーストタウン化していく1974年の大森町にて、義肢装具製作所を立ち上げた中村俊郎。中村には町を復活させ、「再び世界に誇れる町に」という想いがありました。

1948年大森町で生まれた中村は、シルバーラッシュに湧いた時代を知る由もありません。しかし、幼少期に父親から地元の歴史を聞き、一歩外へ出ると神社仏閣や遺跡など町並みの至る所に往時の面影が残っており、中村の想像力を膨らますのに十分な環境で育ちました。

幼少期の中村俊郎少年と父・章一。大森町で。

20歳頃の中村俊郎。京都の義肢製作所にて技術を学ぶ。

石見銀山と義肢装具、この二つを「技術」で結びつけた中村。
戦国~江戸時代の大森町は、銀鉱山から掘り出された良質な銀を世界へ輸出していたことで、豊かな経済力と文化を誇っていました。それを支えたのは最先端の精錬技術があったからです。

「大森で世界に通用する製品を作る」ために、創業時から大切にしているのは技術力。 腰に巻くコルセットをはじめ、乳房を切除した後に使用される人工乳房まで、病気やケガによって、また生まれつき身体の一部を失われた方にとって義肢装具は生活する上でなくてはならないものです。

臨床の現場や患者さんの声によって義肢装具を研究・開発し、技術を磨き上げて完成させたオリジナル製品の数々。その技術が実を結び、世界初のシリコーンゴム製インソールを筆頭に、小さな町から世界各地へ製品が届けられるまでになりました。

一つずつ手作業で作り上げられる義肢装具。技術者の仕事ぶりは真剣そのもの。

既製品からオーダーメイドまで揃う人工乳房「ビビファイ」。患者さんの心と身体に寄り添う製品づくりを心がけている。

そして、製品を利用された方から、いまもたくさんの感謝の手紙やメールをいただきます。

「先日は、とってもいい感じの“親指”を製作してくださって、大変ありがとうございます」
「乳房をなくしてから、何かにつけて投げやりになっていましたが、楽しみながら外を歩けるような気がしております」

日常生活を取り戻された笑顔の写真を同封される方もいらっしゃいます。実際に来社された方も、人生を再生させようと気力にあふれた顔になって帰って行かれます。「世界に通用する製品」のために技術を突き詰めた結果、「お客さまに喜ばれる」ことが実感でき、それが私たちの支えになっています。

創業の地、大森町が再び脚光を浴びるようになった2007年。中村の信念が現実のものとなり、約400人が暮らすこの小さな町が「石見銀山遺跡とその文化的景観」として世界遺産に登録されました。

穏やかな町並みと季節の草花が、訪れるひとの心をほぐしている。

大森町の町並みに立つ中村俊郎。

電線が地中化された美しい大森の町並み。町民が古民家を大切に修繕しながら受け継ぎながら暮らしている。

U・Iターン組とベビーラッシュ。 子どもの声があふれる町に。

創業者・中村俊郎の「町を復活させたい」という信念に突き動かされ行っているのが、古民家再生活動です。山々に囲まれ、銀山川の流れる大森町は、古地図を手に散策できるほど道も建造物も昔のまま残っているものが多々あります。かつては武家屋敷や商家、町家が混在して軒を連ねており、さまざまな身分の人たちがここで暮らしていました。

事業を軌道に乗せ、利益を社会に還元する。中村は衰退していく故郷を取り戻そうと、私財を投じて町に古くからある建物や古民家を改修し、社屋や独身寮・住宅などに再生させました。そこに当社の従業員が入居し、中村が生まれ育った大森での暮らしを従業員は家族とともに追体験しています。

中村が再生した住宅や店舗の並ぶ、大森の町並み。

大森町に暮らしながら、ともに中村ブレイスに勤める夫婦も多い。

そして、ある頃から明るいきざしが見えて来ました。
当社と同じくこの石見銀山を拠点とする企業・石見銀山群言堂さんでも入社による移住者が増え始め、ここで結婚をし、子どもが増えたのです。大田市役所市民課によると、2012年3月から2021年3月までの9年間で、大森町に転入したのは32世帯、出生数は43人。年間で平均4.8人の子どもが誕生しました。

一時は園児が2名まで減少し、幼稚園の存続さえ危ぶまれていた町で、今やたくさんの子どもたちが走り回る光景は希望そのもの。地元企業や町民も移住者を受け入れ、今でもU・Iターン希望者が次々と町を訪れています。

人口約400人の町の保育園には、今や30人以上の園児が通園している。

古民家料理店で味わう 日本酒「大森」。

再生した古民家は町並みに点々と存在し、景観に溶け込んでいます。ドイツパン屋や銀のアクセサリーを販売する店、世界一小さなオペラハウスなど観光客や町民も楽しめる施設もあります。

その一つに、中華料理店「道楽」というお店があります。
店主の帯刀暢洋(たてわきのぶひろ)さんは大田市出身。祖父はかつて大森駐在所に勤務しており、父親も大森小学校に通っていたそうです。コロナ禍のある日、大森を訪れ、空き店舗になっていた建物を覗いていた帯刀さん。そこに、たまたま散歩で通りがかった中村が声をかけます「店の中、見られますか?」。

大森の町並み入口に立地し、人びとを出迎える「道楽」。

「中村会長に会った時に祖父の話になり、大森に縁を感じた。」と店主の帯刀さん。(写真提供:石見銀山大森町Webサイト

出雲市で中華料理店を営む帯刀さんでしたが、「町を見つめる中村会長のやさしい目、あれがすべてだった。昔のように活気ある町にしたいという気持ちが伝わった」と出会いから1年後の2021年11月、大森町に出店。店内には、帯刀さん厳選の蔵元で造られた日本酒がずらりと並びます。

その中に「無窮天穏(むきゅうてんおん)大森」という、にごり酒があります。大森町には昭和43年まで酒蔵があり、江戸時代は幕府直轄領だったことに由来した日本酒「天領」があったことから、「この町で酒を復活させたい」と考えた帯刀さんと出雲の板倉酒造・小島杜氏により、「大森」という銘柄の酒を造りました。

有力商人の生活の変遷をよく示す大森地区最大の商家・熊谷家住宅。酒造を行っていた名残も見られる。

「無窮天穏 大森」は、古民家を改修してできた酒屋「リカーショップ アンボア」にて購入可能。

「“大森”には、五穀豊穣と子孫繁栄の願いを込めた。中村会長が大森の発展に寄与されたこともあり、ラベルには会長の直筆を使わせてもらった」と帯刀さん。

「町並みの玄関口にある店がお客さんで賑わい、夜でも店の灯がついているのが嬉しい」と町民からも歓迎されている道楽。「大森を自慢できる町にしたい!」と帯刀さんは、古民家を再生させた施設「水仙の店」や国の重要文化財「熊谷家住宅」などでイベントを主催し、県内外から多くのひとを呼び込んでいます。

古民家を図書館に再生。 地域が未来の希望に。

これまでの古民家再生活動が大きく発展し、より地域にも地域外のひとにも開かれた施設「石見銀山まちを楽しくするライブラリー」。町並みの中央に建つ旧商家・松原家住宅が少し変わった図書館になりました。

「地域に学びの場を作り、町に学生の活動で活力を与えたい」と中村の想いを島根県立大学に託し、地域の新たな拠り所として2023年に誕生。
学生が中心となって運営し、町民と企画してイベントを開催したり、カフェやコワーキングスペース、ミーティング用のラウンジなど勉強や仕事でも活用できる空間。また、リノベーションは地元大田市の工房が手がけ、プールや一部壁面には石州瓦を作る土を使った壁瓦タイルを、行燈の形をした本棚や大テーブルは私たちが伐採した大森町の竹を使用。職人技を意匠に取り入れた、石見銀山らしさが詰まった図書館です。

石見銀山まちを楽しくするライブラリー外観。(出典:石見銀山まちを楽しくするライブラリーWebサイト

島根県立大学の学生がメニューを考案するなど、運営に関わっている。

もとは旧朝鮮銀行総裁・松原純一の生家。1800年以降の建築と考えられている。

地元の竹で作られた本棚。石見銀山にゆかりのある著名人の推薦図書が一同に並ぶ。もちろん中村俊郎推薦の本も。

間歩をイメージした本棚「えほんのどうくつ」。懐中電灯片手に冒険感覚で絵本探し。

中村俊郎はここに足繁く通い、休日のひとときを過ごし、人びとの交流や町民の憩いの場になっている様子を、やさしい眼差しで見つめています。

過疎地でひとり起業し、こつこつと義肢装具を製作しながら古民家を一軒ずつ再生させてきました。結果、店舗や住宅という暮らしの土台を構築できたことでひとが集まり、町が元気になってきました。これからは学びの拠点としての図書館が、持続可能な地域をめざす大森町のランドマークになる可能性を秘めていると、私たちは考えています。

タイルの貼られたプールで水遊びをする子どもを見つめながら中村は言います。
「今までも粘り強く生き抜いてきた大森。これからも若い世代が活躍する町になると思う」。

再び世界に誇れる町に―。
義肢装具と古民家再生、一見関連のないことのようですが、どちらも誰かの笑顔のため。ひとと暮らし、そして町のために「再生」が未来を照らす灯火でありたいと願い、今日も私たちは石見銀山のこの町に立っています。

中村ブレイス株式会社 会長

中村 俊郎 Toshiro Nakamura

1948年島根県大田市大森町生まれ。中村ブレイス株式会社会長。
京都の義肢製作所に入社後、アメリカへ渡り、研修先にて最先端の義肢装具製作技術を学ぶ。1974年、故郷の大森町にて中村ブレイスを創業(26歳)。義足やシリコーンゴムのインソールをはじめ、シリコーンゴムを用いた人工乳房などを開発し、事業の基盤を築き今に至る。
大森町の古民家再生や文化活動も積極的に行い、地元の代表として2007年「石見銀山遺跡とその文化的景観」の世界文化遺産登録にも尽力した。